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功徳山永勝寺は延命子育地蔵尊をご本尊とする曹洞宗のお寺です。

TEL. 0480-85-7191

〒346-0104 埼玉県久喜市菖蒲町三箇898−1

住職の法話のページへようこそ

住職あいさつ

 年回法要並びに通夜式・告別式等の際、喪主の方から、お布施の金額やあいさつの仕方、葬祭におけるマナー等のご相談をいただきます。
 しかし、いざ喪主として葬儀を迎えた場合、本当に知りたいことは、何をするのかではなく、なぜそうするのか、その意義を知ることで法要に心が込められるのではないでしょうか。

 そこで、住職として少しでも施主様が感動的な儀式ややってよかったと思えるありがたい儀式を行ない、施主様の精神的な支えとなる心に響く法要を行いたいと考えています。
 そのためには、法要そのものが何をやっているのかをはっきりさせ、その意義や由来を法話の中ではできるだけお伝えするようにしています。
 また、法話はその場限りとなってしまいますが、ホームページに掲載することで、広く布教できるのではないかと考えています。
  曹洞宗功徳山永勝寺 第24代住職 藤ア顕孝
 

法話並びに寺だよりの挨拶文


初七日法要の時に、なぜ十三仏の掛け軸を祀るのか
十三仏とは、死後の魂が煩悩が消えた悟りの境地である涅槃にたどりつけるよう、守り、導いてくださる仏様のことをいいます。また、十三仏は、初七日から三十三回忌までの13回の追善供養を司る守護仏が下表のように役目が与えられています。そのため、法養にあたり、十三仏の掛け軸を祀っているのです。
 追善供養 守護仏  守護仏の役割や御利益 
初七日  不動明王  故人の生前の未練や悪業を打ち砕き、仏道へ歩む覚悟とその背中を押してくれます。
 二七日  釈迦牟尼仏  すべてが無常であることを説き、仏道へ歩み出す明かりを示し、正しい方向へ導いてくれます。
 三七日  文殊菩薩  釈迦如来に続き仏法の智慧を授け、故人を正しい方向に導いてくれます。
 四七日  普賢菩薩  文殊菩薩から授けられた仏法の智慧によって救われることを説き、それをいかに使うかを故人に教えてくれます。
 五七日  地蔵菩薩  五七日は閻魔大王の審判を受ける日。その際に、故人の魂が悪い世界に堕ちていかないように救済してくれます・
 六七日  弥勒菩薩  仏道を完遂できるよう守護し、目指すべき道を示してくれます。
 七七日  薬師如来  これまでの世界から仏の世界へとわたる橋渡しをし、ここで生まれ変わる者を浄土へと導いてくれます。
 百箇日  観音菩薩  仏の世界にたどり着いた後の不安を取り除き、慈悲の心で支えてくれます。
 一周忌  勢至菩薩  智慧の光で全てのものを照らし、迷いから人々を救ってくれます。
 三回忌  阿弥陀如来  南無阿弥陀仏を唱えることで必ず極楽浄土へと導いてくれます。
 七回忌 阿閃如来   物事に動じず、迷いに打ち勝つ強い心を授け、自ら不幸に堕ちぬように示してくれます。
 十三回忌  大日如来  全ての仏の根源となる仏様。仏と一体である己れを悟らせてくれます。
 三十三回忌 虚空蔵菩薩   願いを叶えるために知識を与え、慈悲慈愛の一体感を示してくれます。
卒塔婆の梵字
 今日は、お寺でよく見かける文字についてお話ししたいと思います。
 1つは卒塔婆に書かれている漢字ではない文字について、もう1つはお位牌の一番上に刻まれている『空』という文字についてです。
 まず、卒塔婆に書かれているこれらの文字を梵字といいます。
 キャ・カ・ラ・バ・アの5つの梵字が書かれ、それぞれ空・風・火・水・地を意味しています。風は呼吸を表し、火は体温を表し、水は血液を表し、地は体を表します。
 また、卒塔婆は、五輪塔を形取ったものですので、上の方に刻まれた場所があり、五輪塔に似せた形になっています。なぜ、五輪塔に似せたのかというと、五輪塔はお釈迦様の遺骨を納められた塔のことをいい、五輪塔を簡略化したものが卒塔婆といわれています。
 そして、五輪塔の五輪は、仏教での宇宙を構成する5つの要素(空、風、火、水、地)を表していて、仏教では人間もこの5つの要素によって生かされていると教えられています。
 そのため、卒塔婆にはキャ・カ・ラ・バ・アの5つの梵字を書くことによって、この板が五輪塔と同じものですよということを表しているのです。
 次ぎに、卒塔婆の裏面には、細長い文字が書かれています。これも梵字で、「バン」と読みます。バンは、「法性浄水」という意味を持ち、これまでの心を洗浄し、煩悩の全てを断つ、ということを表しています。
 続いて、お位牌の一番上に刻まれている『空』という文字について。
 卒塔婆の5つの梵字、キャ・カ・ラ・バ・アが、それぞれ空・風・火・水・地を 表していると申しましたが、一番上の『空』は、下の4つ風・火・水・地を融合したものを「空」と考え、悟り真理を会得したことを表わすため、位牌の頭には「空」の文字を書くようにしています。
 一方、白木位牌の戒名の下にある置字の「霊位」という文字は、本位牌では霊を抜いて「位」のみに変えます。これは四十九日を境に霊から仏になるということからこのようにします。その理由は、故人にとりまして亡くなってから四十九日までは、この世とあの世をさまよう期間とされ、四十九日をもって仏様となり、仏弟子として新たな生をいただく日となります。そして、翌50日目に忌明けとなり、故人の魂が旅立つ日となります。
 さて、卒塔婆を立てる目的は、故人やご先祖様の冥福につながる追善供養を行うということになります。卒塔婆を立てることは善行とされていて、卒塔婆を立てることによって「追善」後から追って善い行いをする、善を積むことになり、生きている人の善行は、故人やご先祖様の善行にもなり、故人やご先祖様の冥福につながると考えられています。
 追善供養とは、生きている人が亡くなった人に対して行う供養のことで、命日に法事や法要を行うこと・お盆やお彼岸に卒塔婆を立ててお墓参りをすること、これらは全て故人やご先祖様の冥福を祈る追善供養になります。
   

お通夜(おつや)

「お通夜(おつや)」とは、夜通し灯りを消さずに故人を見守る儀式です。葬儀・告別式の前夜に、親族や親しい友人などゆかりの深い人々が集まって、故人の冥福を祈り、別れを惜しむ法要となります。また、遺族は夜通し灯明と線香の火を絶やさないようにします。それは、お釈迦様の死を悼み、お釈迦様を偲んで夜を過ごしたというのが、現代にも残る「お通夜」の起源となっているからです。
 

葬儀(そうぎ)

「葬儀(そうぎ)」とは、故人を弔い、故人を葬る際の儀式のことで、曹洞宗では、人が亡くなった日、もしくは、死後3日目に行われる「開蓮忌」法要として行います。開練忌が最初の追善供養となります。葬儀の中で導師は故人に対し血脈を授けます。
 

戒名(かいみょう)

「戒名(かいみょう)」とは、戒を授かり、仏弟子になった故人の名前のことです。戒名には、1つは故人が仏弟子になったことを表す証明書という面があります。もう1つ、未来永劫の信仰の対象物として大切なものであるという面があります。生前に受戒されていない故人は、葬儀を行う導師の弟子となり、血脈の最後に名前を連ねられます。
 

血脈(けちみゃく)

 
「血脈(けちみゃく)」とは、お釈迦様から伝わる『戒』の教えが導師を経て、故人へと伝えられたことが証明されている記録書のことで、伝戒する証として、上の写真のように師から戒法の系譜を証明したものが中に入っています。「釈迦牟尼仏大和尚」からはじまり、その途中には赤いダルマさんで親しまれている菩提達磨大和尚や日本の曹洞宗を開いた道元禅師様のお名前もあります。永勝寺の開山「勅特賜洞圓明素禅師洲翁全哲大和尚」から永勝寺の歴代住職の名前が続き、お釈迦様から故人までが一本の赤い線で結ばれ、切れることがないご縁で結ばれた関係を証明した証となり、故人が仏弟子として生まれ変わることを証明するものになります。
 
回向と供養
 「回向」と「供養」についてお話をしたとおもいます。「回向」とは、自分自身が積んできた功徳、功徳とは、良い行いによってもたらされる御利益のことをいいます。功徳を人々の救済のために振り向けることをいいます。  また、般若心経や修証義などのお経を唱えたあとに読み上げる短めなお経のようなものをお唱えしますが、それを「回向文」といいます。  「回向文」とは、仏教の教えであるお経を唱えたり聞いたりすることで、自ら積んだ功徳についてわたしを経由して皆様にお渡ししていくというものになっています。  一方、「供養」についてですが、供養の「供」はにんべんに共と書きます。つまり、供養とは、仏と人とが共に養われていく、ということを意味します。手を合わせる側も手を合わせられる側も共に笑顔になっていく道をいうのです。  共に笑顔になる為に、供物をあげ、香を焚き、そして、亡くなった方への感謝と励ましの気持ちを心を込めてお伝えします。一周忌の時と同様に、法要の途中で焼香をしていただきます。その際、今お話しした「供養」の意味を思い出していただきながら、心を込めて手を合わせていただきたいとおもいます。

告別式(こくべつしき)

「告別式(こくべつしき)」とは、友人や知人、会社関係や近所の方など、一般の方とお別れをする儀式の事です。現在では、葬儀と告別式は一連の流れで行われています。葬儀終了後、参列してくださった方へ喪主からのあいさつや弔電の披露、故人に最後のお別れを告げるため棺の中に花や思い出の品を納め、火葬場への出棺となります。
 

初願忌法要(しょがんきほうよう)

「初願忌法要(しょがんきほうよう)」とは、死後7日目に行う法要ですが、永勝寺では、告別式終了後、出棺前に初七日:初願忌法要を行います。
 

七本塔婆(しちほんとうば)

「七本塔婆(しちほんとうば)」とは、右の小さな卒塔婆のことで、通夜・告別式を終え、「初七日=初願忌」「二七日=以芳忌」「三七日=洒水忌」「四七日=阿経忌」「五七日=小練忌」「六七日=檀弘忌」の追善供養として、一週間ごとに供養後、卒塔婆を裏返していきます。四十九日のことを「大練忌」というのは、故人がいなくなった時間の過ごし方を「大」いに「練」習をし、しっかりと気持ちの整理がつき、旅立つ故人を感謝の気持ちを持って送る決意ができましたという願いを込めこの文字を当てています。
 

得度式(とくどしき)

 得度式とは、仏門に入り僧となるための儀式のことをいいます。「得度」は、正式な作法を通して、僧侶に相応しい姿となることによって、仏のみ教えを信じ、仏の徳を身に具えることを意味します。「得度」を受ける方を「発心の人」と呼びます。これは、「仏道への志」を発した人の呼称であり、念願叶って得度される方の気持ちを汲んだ表現です。
 「得度式」とは、師匠(受業師・じゅごうし)によって、髪を剃り落としていただき、衣(ころも)、袈裟(けさ)、坐具、応量器(食器、鉢盂・ほう)などの、僧侶が僧侶として生きていくために必要な最低限のものをいただきます。
 そして、更にお釈迦さま以来、歴代の祖師たちがひとえに伝えてきた「戒法」と「血脈」とを受けて、正式に僧侶の仲間入りをするのです。具体的には、絡子(らくす)・戒名・血脈の3つをいただくことになります。
 

お線香は何本?お焼香は何回?

檀信徒の皆様から、お線香とお焼香のことはよく尋ねられます。
 まず、お線香の本数ですが、曹洞宗では「一本線香」と申しまして、忌明け(49日)までは線香は「一本だけ立てる」という習慣があります。宗派によっては「線香は立てずに寝かせる」と教えることもあったり、宗派ごとに方法はまちまちですが、それぞれの宗派の習慣に従って、故人に喜んでいただけるようなご供養を目指していきたいものです。
 なお、曹洞宗の「一本線香」に関しましては、「香を一路に焚いて雲程に奉送す」という文言に由来します。故人がまっすぐに仏様の所に行ってほしいという願いを込めた言葉です。
 次に、お焼香ですが、お焼香は2回です。まず、仏前でお辞儀をします。右手でお香をつまみ、額に右手をつけいただきます。そのとき、左手は合掌のまま。香炉にお香をくべ、もう一度お香をつまみます。そのお香はそのまま先ほどの置こうに重ねるようにくべます。従香(じゅうこう)とよびます。お香を2回くべたら合掌し一礼をします。これがお焼香の作法です。
 
七七日(四十九日):大練忌法話
 曹洞宗では四十九日のことを「大練忌」とよんでいます。大練忌の法要後、納骨を行いすので、ご家族の皆様にとっては手元から形あるお骨がなくなり、何か寂しい気持ちになりますが、大練忌の意義は、故人様にとっても、ご家族の皆様にとっても「再出発となるおめでたい日」とされています。
 その理由は、故人にとりまして亡くなってから七七日までは、この世とあの世をさまよう期間とされています。そして、七七日に仏様となり、仏弟子として新たなせいをいただく日となります。翌日の50日目を持って忌明けとなり、故人の魂が旅立つ日となります。
 一方、ご家族の皆様にとっては、通夜・告別式を終え、「初七日=初願忌(しょがんき)」「 二七日=以芳忌(いほうき)」「 三七日=洒水忌(しゃすいき)」「 四七日=阿経忌(あぎょうき)」「 五七日=小練忌(しょうれんき)」「 六七日=檀弘忌(だんこうき)」と追善供養を重ねてきました。「大練」とは、故人がいなくなった時間の過ごし方を「大」いに「練」習してきました。そして、しっかりと気持ちの整理がつき、旅立つ故人を感謝の気持ちを持って送る決意ができました、という願いを込めこの文字を当てています。故人は今日からは仏様、つまり、自分たちの信仰の対象として生まれ変わります。
 自分たちの心の支えとして、困ったとき、苦しいときに救いの手をさしのべてくれることを信じ、前向きになって故人に恥じぬような生き方を心がけていく決意を固める日でもあります。そして、明日の忌明けからご家族は日常生活に戻る日となります。
周忌と回忌(しゅうきとかいき):一周忌法話
 本日は、一周忌の法要に皆様にお集まりいただき、御礼申し上げます。
 さて、亡くなってから一年目に当たる今日の法要を「一周忌」といいますが、来年、亡くなってから2年目の法要を「三回忌」といい、以後の年回法要には「回忌」という言葉を使います。
 そこで、法要の前に「周忌と回忌」の違いについてお話ししたいと思います。
 年齢にも、満年齢と数え年のような数え方がありますように、「周忌」は喪に服す期間を表し、近親者の死を悼む1年間という期間が喪中になります。
 一方、「回忌」は命日を表します。これは、神道に基づく考えで「忌中」という言葉を使います。忌中の期間は一切の外出やお祝い事への参加をできるだけ避けるような習わしがあり、翌日の50日目を持って忌明けとなり、故人の魂が旅立つ日となります。
 回忌は命日を表すと申しましたが、命日は、故人が亡くなった月日のことで祥月命日といいます。これからも毎年訪れます。年回法要に当たらない年でも、年に一度の命日になりますので、この日はご家族そろってお墓参りをしたり、仏壇の前に座っていただいたりしていただきたいと思っています。
 今日は、四十九日の法要「大練忌」に続く法要になります。大練忌の法要後、納骨を行い、ご家族の皆様にとっては手元から形あるお骨がなくなり、何か寂しい気持ちになりますが、大練忌の意義は、故人様にとっても、ご家族の皆様にとっても「再出発となるおめでたい日」とされています。
 その理由は、故人にとりまして亡くなってから四十九日までは、この世とあの世をさまよう期間とされ、四十九日に仏様となり、血脈をいただいた故人が仏弟子として新たな出発の日となります。そして、三十三回忌を持って祖先神となり、弔いあげとなります。
 仏弟子としての修行がはじまって1年が経過した今日、再出発した故人への励ましと共に参列いただいています皆様のこの1年の再出発の様子を思い浮かべながら法要に臨んでいただきたいと思っています。
 それでは法要を始めさせていただきます。大練忌同様、途中で焼香のご案内をしますので、施主様からお一人ずつお願いいたします。
正法眼蔵と修証義:三回忌法話
 『正法眼蔵』とは、曹洞宗の開祖である道元禅師が、1231年から亡くなる1253年まで、20年以上の歳月を費やし、生涯をかけて著した87巻(75巻+12巻)に及ぶ大著で、禅の本質について、坐禅や修行の本旨を説いた曹洞宗の根本経典となっています。
 道元は、京都の貴族の名門に生まれましたが、幼くして両親を失いました。世の無常を感じ取った道元は、14歳の時に比叡山へ出家。道元は、「仏教では人間は、もともと仏性を持ち、そのままで仏である」と説かれているのに、なぜわざわざ修行して悟りを求めなければならないのか?という疑問を持ちました。
 しかし、比叡山の修行で解決を得られなかった道元は、山を下り、禅の本場である中国に渡りました。そこでも迷い続けていた道元でしたが、最後に出会った如浄禅師に出会い、「仏性をもっているのに、なぜ修行せねばならないのか」という自身の発問の仕方自体が間違っていたことに気づきます。
 その問いは実はあべこべで、「悟り」は求めて得られるものではなく、「悟り」を求めている自己を消滅させることで「真理の世界」の中に溶け込むことができ、あらゆる自我意識を捨ててしまうことで、病や老い、死などの現象をあるがまま、そのままに受け容れる境地、身心脱落こそ、悟りであるという考えに到達しました。
 坐禅の工夫に始る実践面はもちろん、道元みずからの思想を仏教の他の諸宗派や禅宗系統と対比しながら独自の立場を明確に表わしている仏教書が正法眼蔵です。
 一方、『修証義』とは、明治時代の風潮に応じ、在家への新しい布教を念頭に1890年に正法眼蔵から重要な点を抜粋したもの、つまり、正法眼蔵の大切な教えを一般の方々に広めるために共通の日用経典としてまとめ直したものが修証義です。
 修証義の『修』は修行のこと、『証』は悟りのこと、『義』はことわり、つまり、修行と悟りの道筋、あるいは最も大切なこと、という意味になります。
 そのため、曹洞宗では様々な法要において修証義をお唱えします。今日の法要でも修証義を唱えます。お経と聴くではなく、曹洞宗の教えとして聴いていただきますとありがたいです。それでは法要を始めさせていただきます。

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